2006年09月18日

行動すること

日常的な道を歩くということは、安全で落ち着いて楽なものである。決して悪いことではない。

でも、人を好きになったり、夢を叶えたくなったりして、居ても立っても居られなくなる時がある。その時、僕は自分に非日常的な道を歩む力があるのだろうか、ルーチンライフを飛び出す勇気なんて持っていたのだろうかと思い、結局何もしない方向のエネルギーと対峙することになる。

そんな時に、思い出す言葉がいくつかある。言葉というものは、人を動かすために、効果的なものなのである。

一つは、最近大和証券のCMでも紹介されていた、ギロビッチ博士という人の言葉。
人間は、行動した後悔より、行動しなかった後悔の方が深く残る

もう一つは、小沢健二がかつて連載の中で書いていた言葉。
人の目なんて気にするくらいなら、死んだ方がましだ。

行動する前に悩んでしまうのは仕方ないことだが、これらの言葉は、思い出す価値があるだろう、と自分に言い聞かせてみる。
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2006年03月28日

きらめくダイアモンド

WBCで日本が優勝した。僕はほとんどスポーツを見ないが、この大会は行方が気になった。優勝したことを知った時には、嬉しく思った。なぜ惹き付けられたのかと考えると、日本の野球が世界に通用するかという夢のある話のせいもあったが、日本に対して強烈なライバル意識を持ち、否定的な発言をしていた韓国に負けたくないという気持ちが働いたことの方が大きい。

しかしながら、日本が優勝した後に、韓国の監督は日本チームを褒めたたえていたそうである。歴史的な背景から、反日感情の高い中、スポーツの世界での出来事を、別の次元で純粋に捉えた素晴らしい発言だと思う。

逆に僕は、政治的、経済的な衝突の絶えない韓国に対して、不愉快な気持ちにならない訳はないが、いくつかの素晴らしい映画を作成している隣国に好感を持ってもいる。韓国に限らず、国と国との関係は複雑であり、利害関係も結びつくため、負の印象を受けると感情的に否定したくもなるが、冷静に正と負を分離して、偏りや先入観のないフラットな立場で受け止めたいと思っている。

個人レベルで考えてもそうだ。若かったり、性格が悪かったり、足が遅かったり、時間にルーズだったり、勉強が出来なかったりするからと言って、その人の全てを決めつけることはできないし、決めつけられたくない。僕は年上の人でも年下の人でも、区別することなく尊敬する対象だと思って接している。自分と全く同じ人間が存在しない以上、僕にはない優れたもの、知識や考え方や感じ方や性格など、を持っていて、僕はそれに興味があるからだ。

ダイアモンドが心を動かすほどにきらめいているのは、いくつもの面から光を吸い込み、複雑に屈折して、美しい光を放つからだ。一面にしか光を向けなければ、ダイアモンドでも魅力的な光は放たないだろう。
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2006年01月06日

緊張

北野武がなにかの番組で次のようなことを言っていた。
おいらも大舞台に立つときは緊張する。緊張しなくなったら芸人はおしまいだ。緊張というのは、客の前で受けなかったらどうしようという恐怖心から来るのだから、緊張しないというのは、受けなくてもどうでもいいと開き直ってしまっているのだ。

D・カーネギーによると心理学者ウィリアム・ジェームスは次のような事を言っていたそうだ。
動作は感情にしたがって起るように見えるが、実際は、動作と感情は平行するものなのである。動作のほうは意思によって直接に統制することができるが、感情はそうはできない。ところが、感情は、動作を調整することによって、間接に調整することができる。したがって、快活さを失った場合、それを取りもどす最善の方法は、いかにも快活そうにふるまい、快活そうにしゃべることだ。

僕は、緊張している時、この二つの話を思い出す。
緊張しているのはそれだけ真剣な証拠なのだと。一方では、緊張を押さえるために、いかにも緊張していないようにふるまう。
手に「人」と書いて飲み込んでいる場合ではないのだ。
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2005年11月17日

タイムカプセル

世はネット時代である。インターネットの普及と発達により僕らの生活は大きく変化した。
部屋に居ながら最新のニュースを読む事が出来るようになったし、近所の店の口コミ情報を知る事も出来るようになった。僕らの目の前には巨大なデータベースが広がっているのである。
でも、このようなインターネットが持つ利便性の面よりも、より大きな変化をもたらすと僕が思うのは、インターネットの持つ永続性の面である。

例えば日記がいつまでも残る。
ノートに日記を綴っていたとしたら、そのノートはいつの間にか無くなってしまうかもしれない。大事に取って置いたとしても、押し入れの奥に仕舞っていたりして、目にするのは大掃除や引っ越しというような特別な時になるだろう。しかし、ブログに綴っていたとしたら、数年あるいは数十年残るかもしれない。さらに、押し入れの奥から引っぱりだすよりもずっと簡単に昔の日記を読む事が出来る。

また、掲示板の書き込みも残る。
親や先生に相談した悩みは、解決したり成長したりするのと同時に忘れてしまうだろうが、掲示板に書き込んだ相談はやっぱり残るだろう。

だから、年を取ってから青春時代の日記を見直して懐かしむことや、思春期の青年が父親の若い頃の悩み相談を見付けて妙な気分になるなんてこともあり得るのかもしれない。あるいは、完璧に近い平和を手に入れた時代の人が、そこにたどり着くまでに議論された民衆の生の意見を知る事も出来るかもしれない。

そう考えてみると、インターネットと接するということは、宛先のないタイムカプセルに手紙を入れていることのように思えてくる。こんなことを書いていたのを忘れてしまった数年後の僕が、検索エンジンを使った時にここに辿り着ける可能性を上げるために、検索ワードを並べておこうかと思う。

 東京 レストラン 指輪
posted by takada at 00:25 | Comment(0) | TrackBack(0) | コラム

2005年10月28日

がらくたの山

僕はちいさな頃、飲み干したヤクルトの空や食べ終わったラムネのケースなど、何かに使えそうなものをなんでもかんでも捨てずに取って置いた時期がある。いつか何かを作ろう。これらを組み合わせればきっとものすごいものが出来上がるぞ。と思っていたのである。他人から見ればがらくたでも、本人に取っては宝物に見えるなんてことは、誰にでもあることではないだろうか。
その時の僕は、みかんか何かが入っていたダンボールを親からもらって、次から次へとその何かの部品となるものを入れ続けていた。そんなことを続けるうちにダンボールが一杯になったので、ダンボールのふたを立ててもう少し容量が増えるように工夫した。やがて、僕に割り当てられていた押し入れの半分はその妙な部品で占められるようになった。

と、そこまでは覚えているのである。
しかし、その後どうなったのかどうしても思い出せない。「そんなゴミみたいな物いつまでも取ってないで早く捨てなさい」と親に言われて捨ててしまったのか、何かを作ろうとして断念したのか、何かを作りあげたのか、どうしても思い出せないのである。

仮説を立ててみる。
記憶がないのではなくて、記憶を消されたのではないだろうか?

僕は子供部屋のカーテンを全て閉め切っていた。ダンボールが満杯になったのを機に、かねてから構想していた装置の制作に、遂に、取りかかったのである。
その装置の名は「デシマルレイター形而下エンジン」。それを使うと、理屈では動かない「人の心」を出来るだけ意図した方向に動かすことが出来る。原理は簡単だ。対象となる人の過去の思い出、好きなもの、嫌いなもの、癖、夢などを瞬時に読み取り、あるロジックで計算することによって、その人が最も影響を受ける言葉を選択するのだ。後は感情を込めてその言葉を口にするだけ。所詮は子供の発想だ。たいしたものではない。そもそも3つ下の妹と喧嘩をするといつも親が妹側に付くのが悔しくて、この装置の制作を思いついたのだ。

とはいえ、一日二日で出来上がる代物ではなく苦労もあった。材料が足りなくなったりもしたが、元はがらくただ。いくらでも補充できた。
小学校と子供部屋を行き来する生活が3ヶ月程続いたある日、遂に「それ」は完成した。僕は早速、「それ」を試すために妹に喧嘩をふっかけようとしたその時であった。僕の脳に直接声が響いた。

「素晴らしいものを作り上げたね。私達は是非ともその『デシマルレイター形而下エンジン』が欲しい。譲ってくれないか?」
非常に分かり安い日本語で僕に語りかけた彼の話を要約するとこういうことだった。彼は銀河系の端に存在するシャプレイ星に住む生物で、地球との交流を望んでいる。シャプレイ星では、地球までを約0.6秒で移動することができる程に科学が発達しており、また殆どの地球上の言語を自在に話すことができる程に地球人の研究が進んでいるらしい。しかし、一つだけ悩みがあった。地球人に接触し、地球の言語で話しかけることが出来ても、地球人はおそらくその見知らぬ生物を簡単には受け入れてくれないだろうと考えていたのだ。

「こんなものまた作れるから構わないよ。」
「ありがとう。感謝するよ。」
「うん。君が地球に来た時には一緒に遊ぼうよ。」
「・・・。私達は非常に慎重な性格なんだ。君が二度とこの装置を作れないように君の記憶を消させてもらうよ。本当に申し訳ない。」
「え?」
・・・

仮説とはいえ、いささか現実離れしているだろうか?
なんだか非常に気になって来たので、正月に帰省した時にでも、親に聞いてみることにしよう。
ただ、0.6秒で地球まで来れる程のシャプレイ星人だ。親の記憶を消してしまうことくらいわけないだろう。
posted by takada at 01:29 | Comment(0) | TrackBack(0) | コラム

2005年09月25日

季節の変わり目

最近肌寒くなってきた。寒くなりかけた時というのは温度の調節が難しい。掛け布団を増やすタイミングだとか、暖房はまだ早いだろうとがんばったりとか。僕は、衣替えということをしていないのだが、それでも引き出しの奥から長袖を引っ張りだしたり半袖のシャツをはじに追いやったりと、わずかな循環は行われる。僕はいつも通りの休日に、少しだけ厚着をして外に出かけた。そして新しい季節がやってくる。

新しい季節のその光や気温や匂いの変化は、いつも僕に色々な事を思い出させる。
春になれば、母に引き連れられて桜の咲く小学校の門をくぐった日の暖かさや不安や校庭に満ちあふれる明るさを。高校帰りに自転車で坂を駆け下りた時の気持ち良さを。そして、大学に入り、好きになった子の事を考えていた時の胸の高揚と緊張感を。夏になれば、ランニング姿で野球中継を見ている父に少しだけ飲ませてもらったビールの苦さを。網戸の前に横たわって涼みながら漫画を読む幸せな気分を。早起きした朝の薄暗さと涼しさを。秋になれば、かさかさになった唇の痛みとそこに塗ったメンソレータムの匂いを。放課後の教室の薄暗さを。冬になれば、いとこと早起きした朝に当たったストーブの暖かさを。模試を受けに行った日の手の冷たさと将来への不安な気持ちを。実家を離れて一人暮らしを始める為に荷物をまとめていた日の期待と不安を。
どれも大切な思い出である。僕は懐かしんで、今の僕を思い出すのであろう将来の僕を想像する。

かの三島由紀夫の「金閣寺」に、金閣の屋根の上の鳳凰を描いた次のような一節がある。
「この神秘的な金色の鳥は、時もつくらず、羽ばたきもせず、自分が鳥であることを忘れてしまっているにちがいなかった。しかしそれが飛ばないようにみえるのはまちがいだ。ほかの鳥が空間を飛ぶのに、この金の鳳凰はかがやく翼をあげて、永遠に、時間のなかを飛んでいるのだ。」

僕も飛んでいるのだ。過去と未来を行ったり来たりと。
posted by takada at 23:42 | Comment(0) | TrackBack(0) | コラム

2005年09月22日

脳を鍛える意外な方法

去年あたりから脳がブームらしく、脳を鍛えるための本などがたくさん書店に並んでいますが、かくいう僕も脳には大変興味を持っています。もちろん年を取って記憶力がなくなってきたからというのもあるんですが、それ以上の理由があります。

最近知った身近な人にとても頭の良い人がいて、文字通り頭の作りが違うんだなと感じざるを得なかったのですが、異次元の人と思ってしまうのも寂しいので、頭の使い方が違うんだなと自分にとって多少都合良く解釈しました。要するに箸の使い方みたいなもので、小さい頃に変な持ち方を覚えてしまうと癖になってしまい、その人に能力があるかないかに関わらず、綺麗な持ち方をする人と比べて能力を出し切れないのと同じなのではないだろうかと。

例えば、ある出来事を「あれはいつのことだったっけな?」と思い出すとき無意識の内に浮かべる映像ってありませんか?カレンダーだったりカレンダーに添えられてる写真だったりいつの間にか作り出していた説明し難い映像だったりしないでしょうか?思い出す映像が違うように使い方も違っていて、その為に頭が良かったりするのではないかと思ったのです。実際そうなのかどうかは置いといて、僕は脳に興味を持ち、その勢いで右脳の本や速読の本などを読み始めました。

本の冒頭部分ではだいたい脳の作りや脳の働きについて書いてあるので、何度も見ているのに新しい本を手にする度に「あー。そういえば脳で一番大事なのはここの部分で、○○っていうんだったな」なんて思ってる自分に悲しくもなりましたが、記憶力を高めるためにどうすればいいのか自分なりに理解したことがあります。それは「想像力を使うこと」、「アウトプットすること」、そして「五感を使うこと」です。「想像力を使うこと」というのは、言葉だけじゃなくイメージを作り出して記憶を定着させることで、「アウトプットすること」というのは、思い出したり人に話したりすることで、「五感を使うこと」というのは、言葉やイメージだけじゃなく匂いや音などの雰囲気も想像することです。

成果がでているのかどうかと言われたら全く出ていないとしか言えないのですが、今日、本屋に寄ったら今週の「週間ダイヤモンド」の特集が「脳の鍛え方」だったのでまた買ってしまいました。例によって脳の構造から始まっていましたが、一つおもしろい記述を見つけました。「料理」は脳を鍛える効果が大きいのだそうです。なるほど、料理をするという行為は、常に数分後を思い浮かべながら手先を器用に使い、以前に作った料理を思い出しながら味付けをしつつ、出来上がりの味を思い浮かべているわけだから確かに脳が鍛えられるような気もします。しかしそれだったら、一人で行ったことのない所に地図を見ないで行ってみるとか、電気を消してセックスをするとか、空を飛ぶ夢をみるとかでも鍛えらるのではないだろうか。

ちなみに僕はひとり暮らしをしているのでたまに料理をするのですが、今日作った筑前煮はアドリブでだし汁と醤油を多めに入れたら見事に焦げました。焼きとうもろこしのような匂いがしました。やっぱり僕はまだまだレシピどおりの分量で作った方がいいみたいですね。
posted by takada at 23:53 | Comment(0) | TrackBack(0) | コラム

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